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54「もう、投げなくていい」からの出発

ジョニーが書いたという本が出版されました。

Mioももちろん購入しましたよhappy01scissors

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魂の17球でジョニーの勇姿焼き付けた

 ファンが、チームメートが、そしてジョニーが泣いた。昨季限りで現役を引退した元ロッテ投手、黒木知宏氏(34)の引退セレモニーが15日、千葉マリンでロッテ―楽天戦後に行われた。背番号54の最後の雄姿を見届けようと超満員の2万8926人が来場。サブローらとの真剣勝負17球にスタンドが揺れた。ファンに愛された魂のエースは、ジョニーコールに包まれてユニホームを脱いだ。

 試合が終わっても席を立つ観客はいなかった。右翼席のロッテファンは総立ちのまま。楽天ファンもジョニーコールを送る。黒木氏がしるした数々の名勝負をマリンビジョンで放映後、背番号54が姿を現すとスタンド全体から温かく、別れを惜しむ拍手が起こった。

「これだけのファンの前で投げられて本当に幸せ。今までと変わらず、素晴らしいジョニーコールでした。今も記憶にしっかり残っています」

 前売り券2万5000枚は完売。当日券も発売開始10分で売り切れ、500人以上が球場に入れないというオープン戦では前代未聞の熱狂ぶり。「お前がいたから今がある」「永久血番54」などの横断幕も並ぶ中、バックにチームメートを従え、打席には元同僚のサブローを迎えた。「ホームランを打って引導を渡します」と話していた同期入団の4番を空振り三振に仕留めると、親友の楽天・礒部は三ゴロ。最後は弟分の福浦をこん身の137キロ直球で空振り三振だ。最後の力を振り絞った真剣勝負。魂の17球を投げ終えると天を見上げて目を閉じた。「気持ち良かった。アスリートの感覚が残っているのかユニホームを着ると気持ちが引き締まる。持っているもの以上の球を投げられました」

 ファンへのあいさつ、小宮山らからの花束贈呈。そして2人の愛娘から花束を受け取ると、もう涙をこらえきれなくなった。右翼席の前で3度の胴上げ。バレンタイン監督、泣きじゃくる小野らと熱い抱擁。愛し愛され続けた男は、汗と涙と思い出が詰まったグラウンドに別れを告げた。

 昨年12月12日の引退表明直後、球団からフロント入りを打診されたが、今後は解説者として野球の魅力を伝えつつ、野球教室などで振興に努める。「野球人・黒木はこれからもずっと生き続ける。野球人として第2のステージです」。さよならじゃない。またいつか、ジョニーはグラウンドに笑って帰ってくる。(3/16・スポーツニッポン)

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魂は永遠に―ロッテを支えた黒木知宏

10月に訪れた突然の戦力外通告……

 2007年10月2日――。
 それは何の前触れもなくやってきた。千葉ロッテが「魂のエース」黒木知宏に戦力外通告……。その報を聞いて、耳を疑った。確かに度重なるケガでかつてのような150キロを超える剛速球は鳴りを潜めた。だが、この数年間悩まされてきた右肩の痛みもすっかり癒え、気迫で相手打者を圧倒する投球スタイルもまだまだ健在だった。イースタン・リーグで33試合に登板し、1勝2敗1セーブ、防御率4.11。1年間フルに働けることも証明している。「まだまだやれる」と考えたのは黒木本人だけではなかったはずだ。

 当然、黒木は現役続行を希望した。この1年で、手応えはしっかりつかんでいる。たとえ愛するチームを離れたとしても、ユニホームを着続けることにこだわった。彼にとっては苦渋の選択だったに違いない。ロッテファンも心のどこかで寂しさを感じつつも、黒木の気持ちを察しエールを送った。そこから黒木のあてもない電話をひたすら待つ日々が始まった。
「自分を必要としてくれる球団がきっとあるはず」
 魂の火はさらに燃え上がった。そして2カ月が経過した。ドラフトが終了し、各球団とも新入団選手発表の準備が着々と進んでいた。しかし、電話のベルは一向に鳴る気配がない。黒木の心に迷いが生じ始めた。
「こんな気持ちのまま(野球を)続けることができるのだろうか?」
 そこが彼の潮時だった……。

雄叫びを挙げて剛速球を放る姿に魅了されたファン

 ロッテが川崎から幕張に移転して17年。かつて「お荷物球団」と呼ばれたこのチームは、今やリーグ屈指の人気球団へと成長した。その転機となったのが1995年。黒木がプロの門をたたいた年だ。ボビー・バレンタインが新監督に就任した。メジャーリーグ仕込みの選手起用はまるで魔法のようで、ロッテは9年間続いたBクラスから脱出し、2位へ進出した。黒木は先発ローテーションに入り5勝。その後も8勝、12勝と年々勝ち星を増やし、着々とエースへとステップアップしていた。雄叫びを挙げて剛速球を放る姿はなんとも魅力的だった。
 そして迎えた1998年7月7日。チームにとって日本ワースト記録となる17連敗がかかったあの日。9回裏、黒木はあとアウト1つで同点弾を浴びマウンドにうずくまった。しかし、この日の出来事をバネに同年のパ・リーグ最多勝利と最高勝率のダブルタイトルを獲得。以降も西武・松坂大輔(現米大リーグ・レッドソックス)、オリックス・イチロー(現米大リーグ・マリナーズ)らと幾多の名勝負を繰り広げてファンを沸かせた。中でも2001年の開幕戦こそ、泥臭い黒木の真骨頂といえた。初回に3点を先制されながら、気迫を込めた投球で味方打線の援護を呼び起こし、難攻不落の松坂からチームは逆転勝ちを収めた。

 しかし、このとき彼の右肩はすでに悲鳴を挙げ始めていた。2001年後半戦から、2年9カ月の戦線離脱。長い長いリハビリ生活が始まった。復帰後もかつての剛球は戻らず肩の様子を見ながらの試運転状態が続く。生活の拠点もすっかり浦和球場に変わっていた。2005年、千葉ロッテ31年ぶりの日本一。そこに黒木の居場所はなかった。2006年、千葉ロッテのファームがイースタンリーグ2連覇。一軍のプレーオフ進出が絶望的となる中、能天気にはしゃぐ一部の若手選手の姿がなんだか腹立たしかった。
「あいつらはこれ(イースタンの優勝)で満足なのか?」
 チラリと横目をくれると苦虫をかみ潰したような表情をつくり、その場を通り過ぎた。

若手に受け継がれる黒木の這い上がる魂

 浦和球場で過ごす黒木は時に厳しく、時に優しい若手の良き兄貴分だった。雷を落とされる若手も少なくなかったが、そこには温かい愛情が含まれていた。降格を言い渡され落胆している者、長期のリハビリで気持ちが折れそうになっている者には積極的に声をかけて、自身の体験を通した適切なアドバイスを施した。こうした行動にどれだけの選手たちが救われたことか。彼らは事あるごとに「黒木さんがいたから…」と感謝の意を述べる。レフトフェンス奥の芝生エリアで黙々とダッシュを繰り返していた黒木。度重なる苦難にぶつかりながら、その度に這い上がっていく彼の魂は着実に若手へ受け継がれている。

 そして2008年3月15日。
「黒木知宏」の名が幕張の空に響き渡るのもこの日が最後となるだろう。黒木の良き先輩として、コーチとして彼の13年間をずっと見守ってきた千葉ロッテヘッドコーチ・西村徳文はこう話す。
「同じ宮崎出身ということもあって寂しい気持ちはあります。故障さえなければまだまだやっていけたはずなんですけどね。ただ、あれだけファンの人に愛される選手もいないと思います。3月15日で一区切り付けるわけですけど、今はただ『お疲れ様』って言うその言葉だけ送りたいですね」

 小野正一、木樽正明、成田文雄、村田兆治、仁科時成……。
 唯一無二のカリスマエース。オリオンズ時代も含めれば記録で彼に勝るエースはたくさんいるが、記憶という点で言えば黒木は前述の投手たちに決して劣らない。今後、幕張のマウンドに彼の姿はなくとも、黒木知宏が歩んだ13年を僕らは忘れない――。

<了>

(3/14スポーツナビ)

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黒木氏にイチロー対戦懐かしむ 城島は釣り談義

昨季までロッテでプレーした黒木知宏氏がマリナーズを訪問。イチロー、城島とフェンス越しに話すなど旧交を温めた。

黒木氏は、イチローとの久しぶりの再会に「声を掛けられた時は本当にうれしかった」と感慨深げ。イチローも「対戦していて気持ちのいいピッチャーだった。ピッチャーとバッター、お互いの境界線を守った中での勝負。やられたときは(素直に)やられたと思う相手だった」と懐かしそうに話した。

城島にとっての黒木氏は、趣味の磯釣りの好敵手だそうだ。「会えばいつも釣りの話。毎年オフに釣り場で会います」。この日も釣り談議で盛り上がったらしい。(2/27・共同)

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ジョニーやゴンが絶賛する歌

「魂のエース」と呼ばれた元ロッテマリーンズの黒木知宏氏(34)やジュビロ磐田の中山雅史(40)らが絶賛している歌がある。ヒップホップグループ「アルファ」が歌う「Life is once」。ルー大柴(54)の座右の銘から命名した異色のメッセージソング。現在渡米中の黒木氏はスポニチ本紙に「あきらめない、悔いを残さない…。今の自分に必要な歌」と、コメントを寄せた。

「Life is once」は、人生1度きりの意味。昨年秋「アルファ」がルー大柴と一緒に仕事をした際、世界中を放浪し、浮き沈みの激しい芸能界を生き抜いてきたルーが、30歳になったメンバー3人に「決して忘れないように」と伝えた言葉だった。

今年、結成10周年を迎えた3人は、大きな節目となる新曲のタイトルをルーからもらったこの言葉に決定。歌詞を作ろうとした時「ジョニー」の愛称で親しまれた黒木氏が引退し、新たな人生をマウンド同様の“真っ向勝負”で挑もうとしていることを知り、その不屈の魂と30歳になった自分たちの今後への意気込みを照らし合わせ、一気に書き上げた。

当たり前に 変わり映えの無い 日々の生活に意味と正解を 見出して 限りある 一度きりの日々を生きよう――。

抑えたテンポにしっかり乗った歌詞は、闘い続ける男たちの胸に響いた。黒木氏は「この歌を初めて聴いた時から歌詞もリズムも心に響き、胸が高鳴った。いま米国で自分自身を見つめる旅をしていて、ホテルの中、移動の車中でも毎日聴いています。“あきらめない 悔いを残さない…”という歌詞はまさに今の自分に一番必要なことだから」とコメント。

サッカーのスイスリーグ・FCバーゼルで活躍中の中田浩二(28)も「最近この曲にはまっている」。このほか、ジュビロの中山や格闘家の武蔵(35)ら挫折と栄光を味わった一流のスポーツ選手たちが絶賛している。

こうした支持の広がりにメンバーは「自分たちが尊敬する人たちから共感されてとてもうれしいです。1人でも多くの人に届けば」と話している。(2/5・スポーツニッポン)

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ロッテが3・15に黒木引退セレモニー実施…黒木展も開催

ロッテは22日、昨季限りで引退した黒木知宏氏(34)の引退セレモニーを、3月15日に千葉マリンスタジアムで実施すると発表した。
セレモニーは楽天とのオープン戦終了後に行われ、黒木氏は打者3人と対戦する。黒木氏は「マリンのマウンドに再び上がれるので、しっかり準備して当日を迎えたい。ファンに会えるのが楽しみ」とコメントした。
また、3月11-16日に球場敷地内にある「マリーンズミュージアム」で「黒木展」を開催。黒木氏の写真や現役時代に使用した道具を展示する。(2/23・サンスポ)

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ジョニーが松坂を激励!

○元ロッテの黒木氏が松坂ら激励

昨季限りで現役を退いた黒木知宏氏が18日、レッドソックスの松坂大輔、岡島秀樹両投手を激励した。
ロッテ時代にパ・リーグで投げ合い、シドニー五輪では一緒に戦った松坂とは約4年ぶりの再会といい「実際に会って、メジャーリーガーにひけをとらない体をしていた」と感心した
初対面の岡島については「非常に興味があったし、あいさつができてうれしかった」と話した。(2/19報知)

○松坂、ジョニーの激励に「うれしいです

レッドソックス松坂大輔投手(27)が18日(日本時間19日未明)、米フロリダ州フォートマイヤーズでのキャンプ3日目の練習に臨み、ブルペンで59球を投げた。この日は、昨年までロッテでプレーし、現役引退した黒木知宏氏(34)が当地を訪れ、松坂を激励。4年ぶりの顔合わせに「うれしかったです」と話していた。(2/19・日刊)

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青木(ヤクルト)、黒木(元千葉ロッテ)氏に日向市民栄誉賞

 日向市は23日、市民栄誉賞を創設し、初の受賞者にプロ野球の東京ヤクルトスワローズ青木宣親選手(26)=日知屋出身=と、昨年引退を表明した元千葉ロッテマリーンズ投手の黒木知宏さん(34)=財光寺出身=を選んだと発表した。

 青木選手は入団2年目に200本安打を達成し新人王に。3年連続で4タイトルを獲得したほか、北京五輪アジア予選で日本代表として活躍するなど球界を代表する存在となっている。

 黒木さんは1994年プロ入り。97年から5年連続で2けた勝利を挙げるなどエースとして活躍し、“ジョニー”の愛称でファンに親しまれた。

(1/23 宮崎日日新聞)

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黒木、職業「野球伝道師」…第2の人生スタート

 多くの新人選手が華やかなスポットライトを浴び、プロ野球界に飛び込んでくる陰で、多くの選手がユニホームを脱ぎ、第2の人生のスタートラインに立つ。元ロッテの黒木知宏投手(34)もその一人だ。「魂のエース」と呼ばれ、男気あふれる投球スタイルでファンを魅了してきたジョニー。今後は肩書にとらわれず、マルチな活動を通して愛する野球の振興に力を尽くしていく。

 「ジョニー」と呼ばれ、明るいキャラクターが愛される一方で、マウンド上では真っ向勝負を貫いてきた黒木さん。第2の人生も、その投球スタイル同様「挑戦」がキーワードになる。

 13年間のプロ生活から正式に引退を表明したのが今月12日。テレビ局の専属解説者になるといううわさも流れた。だが、黒木さん自身は今のところ肩書にこだわるつもりはない。「いろいろ挑戦していかないと。ひとつのことにとらわれず、たくさんの引き出しを持ちたい」少年野球教室で指導するのもいいし、講演会で自分の経験を話すのもいい。あるいは評論活動が向いているかもしれない。来年2月には、メジャーのキャンプを視察する予定もある。多くの夢を前にし、期待で胸をふくらませているところだ。

 もちろん、現役に未練がないと言えばウソになる。97年から5年連続2ケタ勝利。しかし、01年のシーズン中に右肩を痛めて以降、千葉マリンに雄たけびが響く機会は減っていった。今季、1軍登板はわずか1試合だった。「まだまだ投げられるので、どこかで心変わりしてやるかもしれない」冗談めかすが、それもまた本音だろう。

 今後の活動は、苦しんだ時期を支えてくれたファンへの恩返しにもつながっていく。野球振興を目的にした試みには積極的に参加し、世界を股(また)にかけた活動も視野に入れる。「将来的には『野球伝道師』と呼ばれるように勉強していきたい」マウンドを離れても、全力投球は続いていく。

 ◆黒木 知宏(くろき・ともひろ)1973年12月13日、宮崎県生まれ。34歳。延岡学園-新王子製紙春日井を経て94年ドラフト2位でロッテ入団。97年から5年連続2ケタ勝利。98年に13勝9敗で最多勝と最高勝率(5割9分1厘)。通算199登板で76勝68敗1セーブ、防御率3.43。178センチ、84キロ、右投右打。家族は妻と2女。

(12/30 報知スポーツ)

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元ロッテ黒木氏3月に引退試合

今季限りでの現役引退を表明した元ロッテ黒木知宏氏(34)の引退試合が、来年3月に開催されることが21日、明らかになった。千葉マリンで3月11日から行われるオープン戦6連戦の中で、現在調整中だという。

 この日、千葉県内のホテルで行われた「黒木知宏、感謝・激励の夕べ」にサプライズゲストとして登場した小宮山が「彼のユニホーム姿を、ファンの皆さんに最後見てもらおうと。球団にはきつく言ってあります。後は本人が受けるかどうかです」と発表した。

 いきなりの登板指令に黒木氏本人も驚きを隠せなかったが「早速練習しに行ってきます」と、二つ返事で「1日限りの現役復帰」を約束した。戦力外通告から突然の引退発表。ファンに最後の勇姿を見せることも、あいさつすることもなく別れを告げていただけに、多くのファンに愛され、その“魂のエース”の愛した地元のマウンドで、ラスト登板が実現することになった。

(12/22 日刊スポーツより)

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黒木、涙の引退…現役続行希望も他球団オファーなし

さらば、ジョニー!! ロッテを戦力外となった黒木知宏投手(34)が33歳最後の日となった12日、都内で会見し、現役引退を表明した。来季も現役続行を希望していたが、他球団からのオファーがなく、引退を決意した。今後は野球解説者などで第2の人生を歩む予定。「選手でのすばらしい経験を違った形で伝えたい」。熱い男が13年間の選手生活に別れを告げた。

 大きな瞳に、うっすらと涙が浮かんだ。時折、声が震える。黒木が静かに右腕を下ろした。

 「戦力外となった後、(他球団からの)オファーを2カ月間待ったが、現実は厳しかった…。引退を決意しました」

 10月2日にロッテから戦力外通告を受けた後、現役続行への強い意欲を示していた黒木。待つだけ待った。しかし、声がかからない。「残った(選択肢の)中でベストな形が引退だった」。最後は消去法。無念の思いを口にした。

 それでも、黒木は必死に顔をあげる。自らに言い聞かせるように、今後の去就について切り出した。

 「自分は(千葉)マリンスタジアムでファンの後押しで育ててもらった。今後は野球をいろんな方に伝えられればいい」。プロ野球解説者などで第2の人生をスタートさせる。

 栄光と挫折の野球人生だった。1995年に当時の新王子製紙春日井からドラフト2位で入団し、98年には最多勝利と最高勝率のタイトルを獲得した。

 一方、その年の7月7日、当時のプロ野球連敗記録の「16」に並んでいた瀕死(ひんし)のチームを救うべくオリックス戦(神戸)のマウンドにあがったが、九回二死からまさかの同点2ラン。マウンドでガックリとひざをつき、号泣した。そんな熱い男だからこそ、ファンに愛されてきた。

 01年途中に右肩を痛めてからは、全盛期のようなキレのある直球は戻らなかった。ここ数年は不振が続き、ついにそのときが…。13日の34歳の誕生日を前に、けじめをつけた。

 「この引退会見で、現役としてやり残したことはなくなった。きょうが区切り。あす(13日)からは野球振興のため、がんばりたい」

 記録より記憶に残る男。ステージが変わってもジョニーの熱い心は変わらない。

■黒木 知宏(くろき・ともひろ)

1973(昭和48)年12月13日、宮崎県生まれ、34歳。宮崎・延岡学園高から新王子製紙春日井を経て95年ドラフト2位でロッテ入団。2年目に先発ローテ入りし、97年から5年連続で2ケタ勝利を挙げるなどエースとして活躍。00年には日本代表でシドニー五輪に出場した。01年7月に右肩を故障。以降は出場が減り、今季は1試合の登板にとどまった。1メートル78、84キロ。右投げ右打ち。既婚。今季年俸1600万円。背番号54。

★黒木に聞く

 ――今の心境は

 「戦力外通告を受けてから2カ月間、いろいろな選択肢があった。その中で選択肢が1つ消え、2つ消え…。残されたのが引退。自分の中で整理が付いた」

 ――海外でのプレーや野球浪人は考えたか

 「そういうことも考えたが、いずれはユニホームを脱ぐ。それが1年早いのか1年遅いのか…。決断に悔いはない」

 ――戦力外通告を受けた直後の心境は

 「“つらい”というのを感じた。11月末まで他球団のオファーを待とうと思ったが、現実は厳しかった。プロ野球選手として興味を示してもらえなかったのは、自分の力不足です」

 ――今後は

 「未定だが、野球を違った角度から見て、野球(解説者として)ファンに伝えなければいけない。野球で恩返しするのが人生の課題」

 ――ファンに引退のあいさつができなかったが

 「『ありがとうございます』といえなかったのは残念。現役にこだわっていたので仕方ない」

 ――家族は

 「面と向かって『引退する』と話すのはつらい。自分から話すことはなかったが、今朝、彼女(夫人)からメールで『おつかれさま』という言葉を頂いた」

 ――一番の思い出は

 「(九回二死から同点本塁打を浴びた1998年の)7月7日と18連敗。その経験を伝えて、野球の素晴らしさや怖さを発信しないといけないと思っている」

 ――ファンにひと言

 「13年間、素晴らしい経験をさせてもらった。皆さんの声援で、黒木という人間を育ててくれたことに感謝している」

★15畳の会見場に報道陣40人殺到

 黒木の会見は前日11日の夜に急きょ、設定された。この日、東麻布にある所属マネジメント会社の会見場には15畳ほどのスペースに、40人近い報道陣が殺到。本人は「マリンスタジアムで育ててもらった」と本拠地への愛着を口にしていたが、会見担当者は「もうロッテとは関係がなくなったので…」と経緯を説明した。

★その時

 現役引退を表明した黒木に、ともにロッテを低迷期から支えた42歳のベテラン・小宮山がエールを送った。

 「彼(の野球人生)は良かったときと、悪かったときの差が激しかった。そういう経験は大きい。将来、もし指導者として戻った場合も強みになる」と今後の活躍に期待。また、去就について相談を受けていたことも明かし、「最後は自分で決めなさいと話していたからね」と黒木の決断を支持した。

(12/13・サンケイスポーツ)

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感謝・激励の夕べ

12月21日にシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルで「黒木知宏選手感謝・激励の夕べ」というのが、開催されるそうです。

詳しくは http://www.knt.co.jp/branch/0286/kuroki/index.html

ちなみに私はこの日、親不知を抜くことになっているため、参加できませんが・・・(ToT)

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黒木オファー来ない「待ち続ける」

 ロッテを戦力外となった黒木知宏投手(33)に他球団から獲得のオファーが届かない。千葉マリンで約2時間、ウエートトレーニングなどで汗を流した黒木は「現状は変わらない。急に投げろと言われてもいいように練習するだけ」と気丈に話したが不安は隠せなかった。戦力外通告を受けた当初はヤクルト、西武が獲得に興味を示したが、ヤクルトはトライアウトで前日本ハムの萩原を獲得して補強枠が埋まり撤退。西武も前田球団本部長が「現時点で交渉している選手はいない」と話すなど、積極的ではないのが現状だ。
 エースとしてロッテを支えてきたプライドもあって、7日の合同トライアウト受験を見送った。「受けなかったのは自分が決めたことなので後悔はない。話がなければ来るまで待ち続ける」。ジョニーは悲壮な決意でひたすら吉報を待つ。(スポーツニッポン)

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黒木のプライド トライアウト受けず

ロッテを戦力外となった黒木知宏投手(33)が、あらためて7日の12球団合同トライアウトに参加しないことを明言した。「トライアウトは受けません。オファーが来るのを待つだけです」。かつてエースとしてロッテを支えてきたプライドからか、“見せ物”としてさらされることを拒んだ。この日はさいたま市の2軍室内練習場でシート打撃に登板し39球中、安打性1本に抑えた。現役続行に意欲十分で、トライアウト後は他球団との交渉が解禁となる。西武、ヤクルトなどが獲得に興味を示しており「ありがたいこと。いい話が来れば」と待ちの姿勢を強調していた。(スポーツニッポン)

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ヤクルト ジョニー黒木獲りも

 今季21年ぶりの最下位に沈んだヤクルトが、ロッテを戦力外となった黒木知宏投手(33)の獲得を検討している。98年に最多勝を獲得した黒木は01年途中に右肩を故障してから低迷し、今季も1軍で1試合の登板に終わったが、球団はプロ13年で磨いた投球術と“ジョニー”の愛称でファンから親しまれる人気面に注目。まずは7日の合同トライアウト(ジャイアンツ球場)を視察し、良ければ球団独自の入団テスト実施を検討する。

 25日の高田新監督の発表から6日、巻き返しへ向けたオフの補強がようやく動きだす。倉島球団専務は「後ろの投手がしっかりしていれば勝てる試合も多かった。右でも左でも中継ぎならほしい」と話した。合同トライアウトから1、2人程度の獲得を検討しており、そのリストには黒木の名前も残っている。

 かつては球界を代表した右腕も昨年から中継ぎ転向。今季は3月27日の西武戦(グッドウィルD)で1回1/3を無安打2奪三振と好投もバレンタイン監督の若手起用の方針もあり、1軍登板は1試合だけ。しかしイースタンリーグでは33試合に登板しており、球団関係者は「1イニングならまだ通用する。球団には報告を上げているし、候補の1人」と再生は十分可能と判断している。

 全盛期の球威は望めないが、縦の大きなカーブで緩急をつけ、シュート、スライダー、チェンジアップを駆使する投球術は健在。同関係者は「来季の開幕は(1日に右肩手術する)川島がいないしね」とローテーションの谷間の先発もこなせると期待する。

 人気も魅力だ。ロッテファンの中ではカリスマ的存在で、今も数多くの“ジョニー信者”が存在する。今季主催試合の観客動員数は133万3231人。古田前監督の“引退興行”で前年から1・4%と微増したが、神宮球場に空席が目立った時期もあった。黒木獲得が実現すれば、高田ヤクルトの目玉となることは間違いない。「右肩のこともあるのでトライアウトで良かったら、球団独自のテストをもう1度することになるだろう」と球団幹部。来季は神宮のマウンドでジョニーの雄姿が見られるかもしれない。(スポーツニッポン)

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黒木!種田!ナベQ再生工場に来い!

 ナベQ再生工場だ。西武の渡辺久信監督(42)が21日、埼玉・所沢の西武第2球場で今季限りで他球団を戦力外になった数選手の獲得を希望。球団はロッテ・黒木を筆頭に横浜・種田、ヤクルト・石堂ら実績ある選手に興味を持っており、12球団合同トライアウト(11月7、27日)に今季まで編成部長だった片平2軍監督を送り込む予定だ。

 秋季練習を見守った渡辺監督は他球団の戦力外選手について「何で戦力外?っていう選手が何人かいた。編成に獲得してもらうよう話をする」と明言。個人名は挙げなかったが、05年から今季まで2軍監督を務めていただけに、戦力外選手の能力は自分の目で“査定”済みだ。すでに球団もデータの収集を終えており、監督の意向に応じる準備はできている。

 その中でも人気、実績で群を抜いているのが、ロッテのかつてのエース・黒木。球団関係者は「人間性と野球に対する取り組みは若手の手本になる」と高く評価しており、獲得すれば観客動員増も見込める。来季は所沢で“ジョニー”の雄姿が見られるかもしれない。(10/22・スポーツニッポンより http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/10/22/07.html)

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ロッテ戦力外黒木、現役続行を強く希望

 「ジョニー」の愛称で親しまれるロッテ黒木知宏投手(33)が4日、戦力外通告を受けてから初めて公の場へ姿を現し、現役続行を強く希望した。国内外問わず「一応プロなんで、本当に僕を必要としてくれるところがあれば喜んでいきたい」と話した。今後は自主トレを続けながら、完全復活の舞台となる新天地のマウンドを探していく。

 「とにかく自分の気持ちにうそをつかない。来年も野球をやるという気持ちだけ」。通告から2日。大好きな野球を1年でも長く続けたい思いから、決意の言葉を繰り返した。

 限界説も耳に入るが「やめるのは簡単だけど人生は長いし。困難に立ち向かうのもいいじゃないですか。性格ですかね? まあ僕の苦労なんて、ほかの人のに比べたら微々たるものですよ」。

 98年最多勝。00年シドニー五輪代表と順風満帆だったが01年途中に右肩を故障。02年以降はわずか3勝で、今季も1軍登板は1試合。だが「ロッテの黒木ではなくなるけど、野球人・黒木として変わらず生きていくので、ファンの皆さんにも応援してもらえることを願っている」。現時点で正式オファーはないが、自主練習を続けながら、新天地を探していく。(10/5日刊スポーツより http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20071005-265769.html

育成でも韓国でも ジョニー悲壮決意(スポーツニッポン)

黒木現役続行へ「どこでも挑戦」(報知新聞)

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ジョニー 戦力外も現役続行を希望

 ロッテの黒木知宏投手(33)が2日、千葉市内のホテルで球団から戦力外通告を受けた。97年から01年まで5年連続2ケタ勝利を挙げた、かつてのエースも、この数年間は右肩痛に悩まされ、今季は1試合の登板にとどまっていた。本人は現役続行を希望している。解禁日の2日は横浜、西武、楽天でも通告が行われ、通算27勝40セーブの西武・河原純一投手(34)も戦力外リストに入った。

 千葉市内のホテルで戦力外通告を受けた黒木は球団広報を通じて「世界一のファンがいる千葉で、13年間プレーできたのが一番の思い出。幸せでした。ファンの皆さまには本当に感謝の気持ちでいっぱいです」とコメント。来季以降については、親しい知人に「ボロボロになるまでやりたい」と漏らすなど、他球団での現役続行を希望している。

 今季は開幕1軍も、直後の3月30日に2軍落ち。そのまま2軍暮らしが続いていた。慢性的な右肩の不安もあり、狭間球団代表補佐は「現場の考え方でもある。来季の戦力構想には入っていない。本人が現役続行と言っているし、できる限りバックアップしたい」と説明。バレンタイン監督は「素晴らしい投手、人物として、13年間多大な貢献をしてきた」と話した。

 黒木は98年に最多勝のタイトルを獲得するなどエースとして活躍。同年7月7日のオリックス戦(GS神戸)では9回2死から同点本塁打を浴び、チームの17連敗に泣き崩れる姿は語り草となった。「ジョニー」の愛称で親しまれ、00年シドニー五輪にも日本代表として出場。しかし、近年は右肩痛などで目立った活躍ができなかった。

(スポーツニッポンより http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/10/03/10.html)

ロッテ、“ジョニー”に戦力外通告…トライアウトで移籍先探す(サンケイスポーツ)

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